あいりん地区に行ってきた
2024年7月1日(月)、有給休暇を取って大阪市西成区のあいりん地区に行きました。
来月で31を迎える年、生まれてから24歳まで大阪に居た私だが、恥ずかしいことに「あいりん地区」という言葉すら知らなかった。今年6月8日に京都市で反原発デモで行われて参加した。隣にいた人があいりん地区で生活保護の橋渡しをしているという。そこで初めて知った。その人があいりん地区を紹介するというので是非ご一緒させてくださいと頼んだ。しかし、その人は6月下旬から携帯の調子が悪くラインを脱退、当日も連絡がなく姿も現れず(後日携帯が復帰した無事連絡を取ることができたので一安心)。でもせっかく来たので一人であいりん地区探索することにした。
あいりん地区は知らなくても「西成区」は知っていた。高校3年生時に英語の授業でその話題が出て、
・10万人当たりの結核罹患率が世界クラス
・タバコが1本あたりで売られている
・警察署の門前を警察官がずらっと並んでいる。
「ヤバいやん」「治安悪いな」と言いながらゲラゲラ笑っていた。それ以降「西成」という言葉で自然と馬鹿にする笑いが出た。
あれから13年。いざ西成、あいりん地区に足を踏み入れるとまるで異世界に飛び込んだようだった。
バスより高く積み上げられたゴミの山。これがあいりん地区なのか。自分が31年生きていて見たことがない光景で刺激が強かった。
JR線と南海線が通る新今宮駅から徒歩3分もあれば着く位置にゴミの山があるのだ。過去にこの駅を利用していたことがあるが、すぐそばにこんな世界があるのか、なぜ気付かなかったんだ。自分が生きてきた中ですぐ隣り合わせにある。
ゴミ山の建物の写真。誰も住んでおらず不気味さを感じた。しかし、壁紙を見るとその思いは一変する。
元々は労働者の居場所となっていた。しかし時の大阪市長橋下徹が追い出そうとした。これをひきついだ次期大阪市長の吉村洋文(現大阪府知事)が住民を追い出し、さらに耐震性を理由に建物の取り壊しを考えている。張り紙にはそれに対抗する内容が書かれていた。労働者の建物に対する思いが伝わってくる。
私が紙を見て驚いたのが、書かれた日時である(上の写真は*の説明にもあったようにただ破れただけで内容は同じである)。2024年6月26日とわずか4日前である。情報がかなり新しく、この建物の印象が不気味から「まだ生きている」に変わった。
また、「政治は生活に直結している」をより強く実感できた。
私は幸い裕福な家に生まれて、社会人になってからも仕事があり、収入もあって住処を追い出されることなく生きている。能登半島地震のように天災で住処を失うこともある。これは確かに防ぎようがない。ただ、ここには政治家の一声で大事な住処を追い出された人がいる。人によるものなので阻止できる可能性はある。住民の戦った跡が紙に現れている。これでも「政治に興味持てない」と言えるのだろうか?
センター付近を歩いていると女性が張り紙を見ていた。貼り紙の写真をとってもいいかと聞くと「撮ってもいいでしょ。むしろ撮って広めたほうがありがたいのでは」と。そこから色々話を聞かせてもらった。その女性は30年前からあいりん地区を訪れているようだ。
元々あいりん地区は第二次世界大戦で大阪が空襲を受けたときに家族を失った人が集まってできた地区で、当時を必死に生きているためかプライドがあるようだ。プライドがぶつかるのか、住民たちはしょっちゅう喧嘩を起こしては血だらけになり、その女性が救急車を呼ぼうとしても当時の住民は拒否する。救急車が来ても住民は「俺は乗らん!」と。救急車も1日2便は来たそうだ。
またその女性はカバンを盗まれたこともある。カバンには財布があり帰りの電車賃も当然ない。このことをセンターに話したらその住民たちは帰りの電車賃を渡したそうだ。
あいりん地区と言えば「治安が悪い」という言葉が思い浮かぶ。しかし話を聞いても自分が歩いてもこの言葉に疑問が浮かぶ。確かにしょっちゅう喧嘩が起きて怖さがある。盗みもあったそう。時代とともに変わったのか。
子供っぽい声が聞こえたので近づくと保育園があった。園児と母親と思われる女性が話する場面も見られた。
他にも探索をしていて、日雇労働者と思われる人が30人ほど屯っていた。何があるのか探していると気が付いたら私は群衆の中心部に入っていた。しかし、誰も自分のことは眼中になく、時間が過ぎれば建物の中に皆入っていった。
しばらく歩いていて、住民から「何か捜しているの?」と聞かれた。散歩しているだけですと答えたら、「昼間に来ても面白いことはないよ。来るなら平日の朝4,5時か土日やな」と言われた。
たまたま「面白いことない」時間帯に来たからか、時代の変化でそうなったのか、あいりん地区に「治安が悪い」と感じたことはなかった。
感想
あいりん地区は今まで生きてきたのとまるで別世界で刺激が強く、わずか3時間過ごしただけだが非常に疲れた。
・ホームレスを見て「自分はこうならないように頑張る」とモチベーションを挙げる人を見たことはある。これを間違っているとは言わない。自分も思うところがある。ただ、たまたま裕福な家に生まれてお金の面で困ることがなかった。一つ違えばこっちの世界に入ってたかもしれない。そうなったときに生きていける自信がない。あいりん地区に住む人は強いと感じた。先ほどの女性の話を聞くと余計にそう思える。
・これからできることは何か。ホームレスに嫌がらせはしないことか。女性の話によると今の中高生がホームレスに嫌がらせをするそうだ。自分はしない、子供ができてもさせないようにする。もし、なぜしたらいけないかと言われたらまだ答えることができない。今まで難問と向き合っていたのに人生にかかわる問題は見つけてないし探してもいない。
・女性との話で印象に残っているのが、その方はホームレスから今の小学生は何を教わっているのか?と聞かれたらしい。返答を聞いたホームレスは「不変なことを教えてあげて。今は情報が多くて混乱する、でも不変なことは長い人生の中でも少ないと思う。それなら覚えられる」
今はこの言葉の真意がわからない。ただせっかく現地で覚えている言葉なので大事にしたい
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